お帰り、メリー
17日朝、メリーの体はこの世から去りました。
18日の朝、お骨上げをしてきました。
息子たちはそれぞれ仕事あったけど運よく、遅番だったため、3人で一緒に行けました。
頭から足の先まできれいに残ってました。
仏壇屋で急いで買った骨壺に入るだけ入れました。
そしてようやく帰宅しました。
おかえり、メリー。
慌てて用意したので、殺風景ですが
こんな時落ち着てあれこれ買うなんてできません。
仏壇屋では骨壺だけ買って、あ!そうだ!と思い出し、ホームセンターで線香立てと花差しを買いました。
間に合わせのお供えとともに、使ってた水皿に水を入れて、たまたま家にあった香りのいい線香を立てて。
後でネットで検索したら、みんな可愛くペットの仏壇を作ってる。
そこまでできないけど、愛情はあるよ、たっぷり。
骨上げの午後から息子らは仕事でいなくなり、私は一人・・・・この前で泣いてました。
この左横には、父母と弟の眠ってる仏壇があります。
彼らには申し訳ないけど、メリーの前だけ座っておいおい泣いてます。
思い出話をずっとしてて、返事も顔色もわからないメリーの写真に向かってずっとしゃべっては泣き、泣いてはしゃべってました。
人ってひと泣きすると落ち着くんですよね。
涙が出なくなってようやくリビングに行きました。
まだ家じゅうあらゆるところにメリー用品があります。
エサもまだ残ってます。
ゴミ出しで、あまり一度に大量のごみが出せなかったのもありますが、なぜか出せませんでした。
お供えにフードもちょこっとお供えしようかと思います。
仏具で足らないものをネットで購入しました。
改めてセットしたらまたupします。
昨日一日、朝起きてから夜寝るまで、あんなにメリーに時間費やしてたのになにもすることもなく、だらだらしてました。
毎朝起きると、
「メリーおはよう」
と姿見る前に言ってたので、昨日もつい、
「メリー、おはよう」
と言ってしまいました。
でもまだ家の中にいると思うので聞こえてることを信じたいです。
今日も仕事行くとき、生きてるときに必ず耳元で言ってたことを仏前に向かって
「メリー、お母さんね、お仕事行ってくるからね。お留守番しててね」
と、言ってきました。
今はもう元飼い主の父と、大好きだった弟の横なのでニコニコしながら見送ってくれたと思います。
先週の月曜はまだ生きてたな・・・とか、きりがないけど思ってしまいます。
亡くなる前の日に点滴うけたばかりなのに・・・と悔やみます。
でもそう、わたし、看取れたんだ、と肯定します。
メリーを看取れた、願ってたことだ、そう、これでいいんだと。
どうしても、それでもあれもこれもしてあげたかったと後悔が出てきます。
だから、たまに肯定してあげないと悲しみとさみしさに押しつぶされそうになります。
昨日も、悲しい波が来た時、心置きなく年甲斐もなく大声で泣きました。
そして、涙が出なくなり、落ち着くと、また静かにじっとしてました。
家事なんてそんな何時間もないし、することないし、外は暑いし、三食、なんかろくなもん食ってなかった気がする・・・
でも亡くなった夜、次の朝、昼。
おなかは空くんだけどぜんぜん食べたくなくて、水ばかり飲んでた気がする。
それに比べたら食べられるようになっただけでもよかったと思ってる。
てか、もうちょっと落ち込んで食べない日が続くと思ってたから、結構私って薄情やなって思ってるくらいだ。
でも、メリーが心配するから、しっかり食べて生きなきゃと思う。
メリーがせっかく私にメリーに使ってた時間をくれたんだから。
今朝、いつもなら早めに起きて、メリーの散歩(晩年は行ってなかったけど)、エサやり、何か所か置いてある水の入れ替え、おむつ替え、など大したことではないけど結構時間かかってたことが、今はその時間が私の睡眠時間となった。
なんか、何年ぶりかでぐっすり、いや、何度か目は覚めたが、それでもぐっすり寝れたかな。
ここ数週間、夜中徘徊してたから、目が覚めるとメリーを探してる毎日だったから、それがなくなって、目は相変わらず覚めるけど、「あ、もう探さなくていいんだ」とすぐ眠れた。
こうやって仕事にきてると、ずっと頭から離れないけど、まだ気が紛れる。
これが一段落すると、がーーーっと涙が出る。
それをまた我慢して、次の仕事をする。
それを繰り返してトイレに行くと・・・
もうだめ、涙あふれる。個室に入ったとたん、嗚咽し、涙があふれる。
ハンドタオル、ファンデーションついて汚くなる(笑)
泣いたことが顔を見たらわかるので、下を向いて事務所に入り、仕事をする。
今週、4連休もある。どうしよう・・・・
行くところもないし、コロナだし、暑いし、お金ないし、また時間持て余してゴロゴロするしかない。
普段もゴロゴロしていたが、メリーがいたからさみしくなかったし、退屈でもなかった。
もふもふ触るものもなくなり、腕枕で寝てくれることもなくなり、外の空気吸いがてら散歩行くこともなくなった。
これが一番さみしい・・・・
それでも私は生きていかなければならない。
生きていこう、寿命がくるまで。